昨晩、テレビ東京にて、映画「ファイナルデスティネーション」を観ました。飛行機事故から難を逃れた数人の若者達が、襲い来る「死の運命」から逃れようと奮闘する内容であり、前々から非常に興味を持っていました。昔の映画なのかと思っていたけれど、2000年作品だったのですね。でも、映像的な見所ってのはほとんどなく――せいぜい冒頭の飛行機爆発シーンぐらい――俗に言うB級映画でした。昨日は実写版「ひぐらしのなく頃に」を昼間に観ちゃったせいで、自分の目にフィルターがかかっちゃっていたみたいですが(笑。
そんなに面白くはなかったかな…。ホラー映画ではありますが、お約束の怪物や殺人鬼が登場するわけではなく、ただひたすら降りかかってくる災難から逃れる様を描いたものでした。でも、はっきり言ってどの死亡事件も大袈裟すぎ、というか非現実的なものばかりで醒めてしまいましたね。途中からは完全にギャグ路線だったと思う。ドリフのコントなんかではよくありますね…一人が何かにぶつかった拍子に、別の何かが連動して崩壊し、最終的にいかりや長介or高木ブーの真上にタライが落ちてくるようなやつ。“死”という誰にでも訪れるものと戦うというプロットが秀逸なだけに惜しい。でも、ラストシーンで「なんでこいつが生き残ってるのさ」というようなクズ男が死んだので、その点は良かったと思う。後味は悪くない映画です。続編も2つあるみたいなので、探してみようかな。
テーマとなった“死”というのは、確かに突き詰めて考えると怖いものです。自分も、神経過敏なところがあるため、こういう部分はよくわかる。もし赤信号で止まっていなかったら、もし別の道を行っていたら、もし別の車両に乗っていたら…いずれも命を落とさなかったのに、な〜んて事例は山ほどあります。先に某県の某駅で起きた「公務員男性突き落とし殺人」にしたってさ、あれは被害者には何の落ち度もなく、ただ「誰でもいいから殺したかったという危ないヤツの前に立っていた」というだけの理由で、かの人物は命を落としてしまったのですから。遺族は悔やんでも悔やみきれないでしょうね…。
こういう事は大なり小なり日常的にあるものです。特に電車なんかはそう。ドア一つとってみても、どこから乗るかでその人の運命はガラリと変わってしまうのだから。我々は常日頃から、こうした運命の岐路に立たされ、そのつど選択をして生きているわけであります。人が人を平気で殺すような今の世の中、「ファイナルデスティネーション」は絵空事などではなく、まさしく現実そのものです。そう考えると、本当に怖くて怖くて、もう外になんて出られなくなってしまいますね。じゃあ、家の中に閉じこもっていれば安全なのかと言えばそうでもなく…。
最近、家の中にいる時に飛行機やヘリコプターの音が聞こえたりすると、もしあれが自分の頭上に墜落してきたらどうしようなんて考える事もあります。相当過敏になっているのだろうなと自分でも思うのですが、嫌な想像とはやまぬもの。頻発する地震についてもしかり。「今は弱い揺れだけど、次の瞬間直下型に変わったらどうしよう」ってね…。
これらの事例の場合だと、もはや「己の選択」云々の問題ではなくなるので、ますます絶望感が募ってくるのであります。まさにこの世は「生き地獄」。想像力に長けた芸術家達が、世を忍んでおのが命を立って逝った事例が多いのには、ひょっとするとそういう面があったのかもしれません。生きている事そのものに矛盾を感じちゃうんですな。ただ、死んだらどっちみち終わりなので、こういう選択もまた矛盾を孕んでいるわけですが…。
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